遺品整理は、「人生最後のお引っ越し」 ねこのて通信
今月から新たに、毎月1回ねこのて通信を配信いたします。
どうぞお楽しみに!
19歳で結婚。そこから始まった波乱の⼈⽣
こんにちは。遺品整理「ねこのてサービス」の代表、宮脇雅代です。
私は、遺品整理を「⼈⽣最後のお引っ越し」と呼んでいます。
天国に⾏くためのお荷物整理が、遺品整理です。なぜそう思っているのでしょうか。
そもそも、数ある仕事の中から、なぜ遺品整理を選んでいるのでしょうか。
それをお伝えしていきます。
私は、3⼈兄弟の⻑⼥として⽣まれました。
⽗は船会社に勤めていたため、単⾝赴任が多く、会えるのは半年に1回くらいでした。
⺟は、昼間は給⾷の調理室で働き、帰宅するとすぐに飲みに出ていました。
ストレスが多く、飲まずにはいられなかったようです。家にはいつも⼦どもたちだけ。
⺟は⼦育てをほとんどしなかったので、保育園に通っていた13歳年下の弟を、⾼校⽣の私が迎えに⾏って
いました。
「あの⼆⼈、どんな関係?」。弟といっしょにいる私を⾒て、近所の⼈がひそひそつぶやいていました。
「こんな家、いやだ」。
共働きなので、収⼊はあったはずなのに、わが家はいつもお⾦が底をついた状態。
宝塚歌劇団に⼊るのが私の夢だったのですが、それをかなえられるお⾦はありませんでした。
⾼校卒業後はホテルに就職。そのとき出会った鉄筋⼯と、19歳で結婚しました。
家を出たかったからです。「結婚すれば家を出られる」。
そのころの私には、そんな安易な考えしかなかったのです。
翌年、⻑⼥を出産。私たちの結婚⽣活は、まるでままごとのようでした。
朝、夫を仕事に送り出したあと、徒歩5分の場所にある夫の実家から祖⽗が来て、⻑⼥を実家に連れていきます。
⼣⽅になると、⻑⼥を迎えに⾏ったついでに、夫の実家で晩ごはん。
夫は仕事から帰るとすぐに飲みに⾏き、私は⽣活費を⼀円ももらっていませんでした。
落ちこぼれの営業が⾝につけたこと
こんな⽣活が⻑く続くはずはありません。
次⼥を出産するときは、出産費を⽤意できないまま⼊院。
「どうしよう…」と思いましたが、お⾒舞い⾦でなんとか⽀払うことができました。
それよりも決定的だったのは、夫が次⼥の顔を⾒に来なかったことです。
若かった夫は、家族のことより、遊び回るほうを選んだのです。
「もうええわ…」。
次⼥が6ヶ⽉のとき離婚。私は娘たちをつれて、⺟⼦寮に移ることになりました。
「仕事、どうしよう…」。そんな私を助けてくれたのが、同じ⺟⼦寮にいるお⺟さんでした。
彼⼥は保険のセールスレディでした。
「保険の営業、やってみる?」。そう声をかけられ、まったく未経験の保険の世界に⾶び込みました。
私は落ちこぼれの営業でしたが、ここで⾝につけたことがあります。
それは、⼈の表情を⾒て相⼿の気持ちをくみ取ることです。
⼈に裏切られたり、悲しい思いをしてきたので、⼈の気持ちに寄り添うこともできました。
こうした私の経験が、いまの遺品整理に⽣きている気がします。(続く)
毎月第一月曜日にねこのて通信を配信していきます。